一人暮らしのちょっと怖かった思い出

社会人になって初めて住んだ一人暮らしのアパートは、家賃5万円の木造住宅でした。 引っ越してしばらくは快適に過ごしていたのですが、 そのうちに隣の部屋の住人のことが気になりだしました。 隣の人は一人暮らしの中年男性でしたが、 まだそれほどの歳でもなさそうなのに髪の毛が真っ白なのです。 そしてひどく気難しそうな表情をしており、私が挨拶をすると、 目をむくようにしてギョロっとこちらを見るのです。 何の仕事をしているのか不明でしたが、いつもアパートにいるようでした。

私が仕事から帰ると、いつもその人が家の前で洗濯機をまわしており、 どうしても顔を合わせることになります。 別に気にすることもないのですが、私もまだ22歳と若く、女の一人暮らしだったので、 少し警戒心がありました。 あまり関わりたくないな、顔を合わせたり、生活の様子を知られたくないな、 と思って過ごしていました。

私は子供の頃からピアノのレッスンを続けていて、 その時もヘッドホンで練習できる電子ピアノを部屋に置いていました。 そして仕事から帰ってから一人で練習をしていました。 ピアノは、隣の部屋に面した壁側に置いてありました。 発表会が近くなってくると、毎日12時過ぎまでピアノを弾いていました。

その日もつい練習に熱が入り、1時すぎまでヘッドホンをつけてピアノを弾いていました。 すると突然、壁の向こうから「ウオ~!!!」という雄叫びが聞こえ、 どすどすどすっという足音がして、隣の部屋のドアがバタンと開くのが聞こえたのです。 ハッとして身がすくみました。次の瞬間、私の部屋のドアがガンガンガンと激しく叩かれ、 「コラーッ!!何やってんだ~!!!」という怒鳴り声が聞こえました。 隣の部屋の人が、怒り狂ってうちのドアを叩いているのです。 私は驚愕して、腰を抜かしそうになりながらドアの前に行きました。 その人がいったいなぜ怒っているのか分からず、ドアを壊されて殺されるんじゃないかと思いました。 「何時だとおもってんだよ!!カタカタカタカタうるせえんだよ!!」その言葉を聞いてようやく、 自分がピアノの鍵盤をカタカタとたたく音が隣の部屋に響いていたらしいこと、 うるさくて眠れなかったらしいことに気がつきました。

ヘッドホンで無音にして練習していたので、鍵盤の音が響くことに思い至らなかったのです。 「すみません・・・ピ、ピアノの練習してたんです・・」震えながらやっとのことでそう言うと、 その人は、「なにい?ピアノ?」といい、すこし落ち着いた様子でした。 その後、「・・・・変な夢見るじゃねえか!!やめろよう!」と言い捨てて、 帰っていく音がしました。ホッとしましたが、震えがしばらく止まりませんでした。

あとから考えてみると、自分のほうがずいぶん迷惑をかけたような気がしました。 そして実は隣の人のほうが、得体のしれない物音に悩まされ、 怖かったのかもしれないと気がつきました。 変な夢を見るほどに。後日顔を合わせた時に「すみませんでした」と詫びると、 相変わらず無愛想でしたがちょっと恥ずかしそうに、「いや、いいよ」と言われました。 その後、隣の人とは少しずつ挨拶したり、言葉を交わすようになりました。